立方体の覗き箱CUMOSの歴史と未来
造形作家・女子美術大学メディアアート学科教授 ヤマザキミノリ
2008年1月31日
立方体ののぞき箱の始まり
1974年、私が二浪を経て東京芸術大学に入学した年の秋に、次のような実習課題が出ました。「幾何形態をモチーフとして発展的・増殖的・構造的な空間構成をせよ。注意:幾何形態は分解、展開、切断自由。」制作期間は10月7日から22日まででした。
いわゆるユニット(形の単位)を組み合わせ彫刻的かつ構築的な造形の練習課題です。浪人中の実技練習で経験した積木風の作品群が想像できたので、人とは違った何かを造ろうと思いました。「鏡を内側に向けて箱を作れば、映像が無限増殖するかもしれない。作るユニットは一つで済むのに人一倍増殖するイメージになるかも、、、。インパクトがあるのに作るのが楽!」と思いつき、さっそくアクリルミラーで5センチの鏡箱を試作してみました。
これはA
BOXという名前で、2ミリのアクリルミラーを切り貼りして立方体にし、正面真ん中に8ミリののぞき穴と反対側の面に2ミリのドリル穴数個やひっかき傷を付け、さらに背面に回転パターン板をつけたとてもプリミティブなものでした。そんなちっぽけな仕組みの箱でしたが内部をのぞき見た時のハッとした新鮮な驚きは忘れられません。ドリルの穴やスクラッチの傷から光が漏れ込みズーッと無限に続き、周りにも無数に映り込んでいるではありませんか!これは面白いとばかりにそれを16センチ立方に拡大し、∞cube(無限キューブ)と題して10月22日に課題提出したものが人にみてもらった立方体の覗き箱の始まりなのです。
指導教官の田中芳郎教授はかつてカメラのデザイナーで映像装置や歴史の研究家でもあり、内部イメージが無限に拡がる単純な光学装置を高く評価してくれ、面白い着想なのでさらに研究するように勧めてくれたのでした。学部は工芸科の入学でしたので二年間は鋳造工芸の鋳金科で過ごすブランクがありましたが、個人的に田中教授の研究室をしばしば訪れ、先生から光学や映像技術開発史と造形芸術の関係などを何度も長時間にわたりマンツーマンで教えて頂くという有り難い体験が研究のバックボーンとなっています。四年時には大学院に新設された構成デザイン専攻への進学を決めました。
箱の中の宇宙
CUMOS
従来のブリュースター型三角柱万華鏡の研究から長方体や正八面体など様々な形態を試し、受光の工夫や映像パターンのバリエーションを作りました。また内部映像を一般の万華鏡のように動かせないものかと仕組みを考え、点滅するLEDや回転板、さらに揺れるハーフミラーを取り付けたりと試行錯誤をくりかえしました。箱の中で立体視を無限反射させることを思いついたのもこの頃で、数多くのアイデアスケッチを描いています。
田中教授が「中の映像を取り出せないかな?」と新たな課題をくれたので、内部映像を定着するための特殊なピンホールカメラとの組み合わせを発明し、手前から無限遠まで均一なピントの合うパンフォーカスな高精細な立方体万華鏡映像を取り出すことができるようになりました。高級な一眼レフなどでは、かえってピントの範囲が狭く、小さい箱の広大な映像全てにピントを合わせることは難しいのです。プリミティブな針穴写真の原理が有効である事は、なんでもハイテクで対応することだけが答えではないという事実を学ばせてくれました。アクリルミラーを表面鏡へと改良し、多重反射の鏡像を格段にシャープに改良もしました。同時にネーミングも「立方体の宇宙」の意味でキュービックコスモスを縮めてCUMOSキューモスとしたのもこの時期です。
針穴写真の原理を使って立方体の面の中央から覗き見た内部風景から始まり、辺の中心から見た構図、角から対角方向を俯瞰した画角の三つの視点から映像を取り出しました。シンプルな点や線、それから線の組み合わせによる線織面でデザインを考えた立方体内部鏡像は、数学が高校でビリだった私の作品とはとても思えない数理造形的な美しさを見せてくれたので、もしかしたら自分は隠れた数学の天才か?と錯覚を覚えたほどです。特に角からのぞき見た鏡像空間は、意外なことに立方体に内蔵される正三角形や正円を形成していて、不思議な入れ子構造のフラクタル写像が撮影できたことなどは、さらなる驚きでした。
これらの超アナログピンホール画像は、80年代に普及の始まったパーソナルコンピューターやデジタル電子機器などハイテックイメージのPRに打ってつけで、パンフレットやポスターとして数多く版権利用してもらう結果となり、ちょっと不思議な気持ちがしたものです。
CUMOSで初個展開催
不遜にも「作品を売って生活するのが作家だ!」との高邁な信念を持っていたので、1980年の大学院修了と同時に個展開催のギャラリーを探すことにしました。最初にアタックした銀座松屋の遊びのギャラリーでは、「玄人受けするがデパートのお客は買わないだろう」と見事に断られましたが、池袋西武のアトリエヌーボーの若い担当者には受けて、すぐに秋の開催を企画でセッティングしてもらうことができました。
また、ちょうどそのころ朝日新聞に「遊びの博物誌」という世にインパクトを与えた連載がありました。坂根巌夫編集委員が世界各地の科学と芸術の中間領域的取り組みを取材して大好評を博し、銀座松屋の入場数記録を作った展覧会も開催されていました。ルービックキューブやオランダの画家エッシャーの世界など、数理造形的な不思議アートはここから国内に広まったのです。80年の6月29日、続編である「新遊びの博物誌」に21番目のテーマ「サイコロ型万華鏡」としてキューモスも取り上げてもらい全国に知られる事になりました。
池袋西武での「光の美繰り箱キューモス展
—化石した星たち—」と題した初の個展(9月11日から24日)に百個を用意しましたが、記事の効果もあって2週間の期間中に全て売れてしまい、継続してフレンドシップというコーナーで販売を続けることになりました。その後、銀座松屋で開催されたデザインフォーラム’81という公募展で銅賞を受賞した関係で、断られた遊びのギャラリーにも返り咲き、販売もしてもらえることになりました。六本木アクシスのリビングモチーフという生活雑貨を特集したショップでも扱って頂き、新婚の夫婦二人で文字通りフーフーいいながら手作りして大変でしたが、累計で約3000箱を世に供給することができたのでした。
覗く箱から見るオブジェそして入れる空間へ
大学院の修了年である1980年に申請していた関連の実用新案特許が85年前後に4件ほど相次いで認められましたが、その頃にはCUMOSののぞき面をハーフミラーに変えた大型のディスプレイデザインなどの仕事が増えた関係で、手作りでコストのかかるキューモス制作は徐々に少なくしてしまいました。
思い返せば田中教授からも「一人で覗きみる箱」から「皆で見ることのできる作品」、そして「その中に入る事のできる空間」の創出を考えなさいというテーマも与えられていたので、これからは大型作品だと思い込んでいたわけです。
図らずも80年代後半から90年代にかけて、世はいわゆるバブル景気で、博覧会やテーマパークなどの大型イベントが目白押しとなり、鏡や光を使った空間演出デザインやオブジェ制作に慌ただしい日々を過ごしました。
作品では光と音楽を使い、胎内と宇宙空間の同時性というか極大と極小の無限な繋がりをテーマにした4次元的空間インスタレーションに注力し、95年に美ヶ原高原美術館の光の美術館で半年にわたる個展を開催したりしました。以降は、アトリウムの空間演出やイルミネーションデザインが増え、結果として2006年までの20年間の長きにわたり、創作の原点CUMOSから遠ざかってしまったことは今思えば残念なことでした。
ワークショップタイプとの関係
2006年の8月に学研の大人の科学マガジン編集部からメールが届きました。万華鏡特集を発刊するにあたり、「立方体万華鏡の原点がヤマザキさんのCUMOSにあるのではないか、ということを確認してほしい」という要請が九州大学の園田高明博士から、編集部にあったのです。博士は立方体型万華鏡のルーツを探していたのです。
ワークショップタイプの立方体万華鏡があることは、私も愛知県の高校の先生たちが主宰する西三数学サークルのホームページを見て知っていました。
知る範囲では、ポリカーボネート製ミラーを使ったワークショップの拡がりは90年代中頃からのようです。
園田博士も調べられていますが、わたしのCUMOSとワークショップタイプの正確なつながりは確認できていません。
しかしながら80年の朝日新聞「新遊びの博物誌」掲載以降、様々な雑誌での取材やテレビ、複数の個展や公募展、企画展での紹介、それになによりおよそ3000個の販売実績があります。ワークショップタイプの共通した柄デザインである網目の線織面も「新遊びの博物誌」にカラーで掲載されていますし、旺文社が発行していた科学雑誌「OMNI」のアートコンテストで線織面パターンの画像が優秀賞を取り、角から覗いたパターンはパルコで開催された第一回日本グラフィック展で佳作賞に選ばれています。
推測ですが、これらの露出が下敷きになって、自分でも作ってみようという人が現れたと考えても不思議ではありません。おそらくこの様な経緯から教材としてのワークショップ立方体万華鏡が徐々に拡がっていったのだと思われます。
立方体万華鏡を世界標準へ
20年も放っておいたCUMOSですが、万華鏡伝道師の園田博士とUAPふくろうの会が情熱を傾けるワークショップ活動の普及を知り、あらためてその可能性や魅力を再認識する事になりました。数カ国に及ぶ3年ほどの伝導活動で三歳から九十五歳まで、すでに一万人もの立方体万華鏡制作者がいると聞き、何がそこまで人々を引きつけるのかちゃんと調べ、どうしてかを知りたくなりました。
私自身は近年作品が大型化して、なかなか好きなものが作れないジレンマを感じていたところへ、嬉々として立方体万華鏡を作られる老若男女の皆さんの笑顔に、忘れかけた初心を気づかされたような衝撃を感じました。このことがきっかけになり、ワークショップのファシリテーションと同時に、私の創作の原点であるCUMOSのマクロとミクロの無限円環の不思議をテーマに、再制作再研究に取り組む意欲を新たにすることができたのです。
ワークショップ立方体万華鏡の不思議は、だれでも創作者としての達成感や喜びを体験できるところにあります。鏡による無限反射の対称性と遠近感によって、構図は整理され数理造形美の魔法がかかります。また、漏れ込む光の加算混合によって色彩は濁ることなく透明に輝く仕掛けなのです。上手下手はもとより、個性や文化の違いもあまり関係のない失敗の少ない仕組みで、故にユニバーサルアートなわけです。
2007年9月には中国の広州美術学院から招聘され、園田博士と一緒にCUMOSの講座と不思議アートのぞき箱のワークショップを開催してきました。さらに11月から12月にかけて、銀座ギャルリーヴィヴァンでしばらくぶりの個展を開催する事もできました。これからは、ユニバーサルアートの“不思議アートのぞき箱”とともにCUMOSも日本発の立方体万華鏡として世界への普及、つまりワールドスタンダードを目指して様々な活動を展開していきたいと考えています。
※筆者のサイト インターネット美術館
"MINORI YAMAZAKI'S Internet Museum"
http://fantacl.com
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